「褒められたがりのフォルトゥナ」

Pixivに掲載しているサンプルと同じ箇所までです。
WEBページ掲載テストとして投稿しています。

種族や性別の他に、DomとSubと、ほんの一握りのSwitchと、大多数のNormalという分類でラベリングされた現代社会で、僕は一等不出来なSubとして生まれてきた。
Subという診断はあるものの、コマンドが全く効かなかったために誤診を疑って専門医に診てもらったものの、どれだけ検査してもSubだし、欲求不満のストレスチェックはオールグリーンだし、細かく専門的な検査を経てようやっと医者の出した結論は、「見たこと無いほど強いSub」で「バースが特質的に安定している」という体質らしい。つまり、そんじゃそこらのDomじゃ満足できなくて、コマンドがなくても生きていけちゃう体質だってことだ。
おかげで、この歳になってもまだ、誰ともプレイしたことがないままなのである。

「僕もさ、Subとして生まれたからには一回くらいはプレイしてみたいんだよ」

酒場にて。ちゃぷん、とまだ半分以上残ったグラスを掲げて熱弁する。
いかにプレイが生活に良い影響をもたらしたかとか、いかにパートナーがいいものだとか。学生時代にも散々聞いてきた自慢話が、歳を重ねるごとに重く特別な輝きを放っているように感じられてくるから嫌なものだ。若い頃はそもそもそれどころではなく、青く鋭いばかりの理想に手一杯で、いつかそのうちそんな機会もあるだろうと思っているうちにとうとう三十路に到達してしまった。

「それこそ君は引く手数多だろう。素人が嫌ならそう言った目的の店だってある」

ごくり、と酒で喉を潤して、向かいに座る男は眉をひそめて不愉快そうな顔をした。いつだって生意気だけど優秀な後輩だが、相変わらずこういった人情事には分かってないことばかりを言う。そうじゃないのだ。
「もちろん試したさ!言っただろう?僕のSub性はバースの専門医をもってしても見たことが無いほど強いと言わしめたんだ。……プレイできないんだよ。そもそも、コマンドが効かないんだ。」
「ほう?」
興味深いとばかりに片眉をあげた後輩に気がよくなって続ける。
「ちゃんと実証済みだぞ。種族性別年齢問わず、僕とプレイしたいってやつにはまず一回コマンドを出してもらって、まずはそこから、ってね。結論だけ言うと、誰一人として僕を跪かせることはできなかったんだ。」
どうにも上滑ると言うか、そうしたいと思えなかったと言うか。DomのコマンドはSubには抗えないものだと言うがどうにも全く、そんな気がしないのだ。
「その安全意識の欠如はどうかと思うが、そこまでコマンドが通らないSubというのは確かに初めて聞いたな。」
「君も知らないならいよいよ特異体質だな。……はぁ、どこかに居るんだろうか。僕が跪きたくなるようなDomは……
 はぁ、とため息を吐いて、杯を傾ける。すっきりとした飲み物で喉を潤すとじんわりと胃にアルコールの熱が広がるのを感じる。
……試してみるか?」
ん?と思ってパッとアルハイゼンの瞳を見る。不思議な光彩の奥からじわり、と今まで感じたことのない圧が滲んで、がつん、と殴られたような衝撃が走る。ぱち、とどこかでリミッターの外れたような感覚がして、体の内側で期待が満ちた。
「Kneel」
端的に告げられた言葉に勝手に反応して、かくん、と膝を着く。
途端に合わなくなった目線を持ち上げて、コマンドを発した主の方を見る。
あまり表情の変わらない鉄面皮がほんのりと驚きに瞳を丸めていた。
「は、」
息を吐いたのはどちらだったか。
ここは酒場だとか、アルハイゼンはDomだったのかとか、一体僕は今何をどうしたんだとか、一瞬で多くのことが頭を駆け巡って、すぐにどうでもよくなった。
「Good boy. カーヴェ、お座りできてえらいな」
とろりと甘く溶けた翠眼が優しい声で褒めてくれた。それだけで多幸感でいっぱいになって、喉元を擽る手に全てをゆだねて目の前のアルハイゼンの足にもたれかかった。

***

カーヴェがふわふわとアルハイゼンの足に懐いている頃。
アルハイゼンは困っていた。なんせ聞いていた話と違う。つい先程までコマンドが聞かないと駄々をこねていた男が一発でこのザマだ。相変わらず自分を大事にしないクセに他者に屈服するのをよしとしない聖樹より高いプライドの男だなとイラついたのもあるし、これだけ好条件のDomを横に置きながら他のDomとのプレイの話を匂わされたのもムカついたのだ。端的に言えば。それじゃあ一体あんたの中の女王様はどんなもんだいと半ば道場破りのような心持ちでコマンドを出したら一発KOで、振り上げた拳は褒め言葉に吸収された。
「カーヴェ、座れるか?」
こしょこしょと顎を擽って、そのままふわふわの髪に手を通す。とりあえずこんな風に酒場の床に同居人を跪かせたままにはしておけないので、コマンドを通さずに話しかけるが、んぅ?と、とろとろの瞳でぼんやりと顔を上げたので、これはダメだな、と判断した。カーヴェもだが、自分もだ。
「マスター、会計を頼む。」
言われた会計から意図せず迷惑をかけてしまった分、少し多めに支払って、よいしょ、と座り込んだままのカーヴェを抱えて立ち上がる。酔っ払って落書きをしはじめるこの男を引き剥がすように回収したことも少なくはないので、これは比較的平常通りの光景だろう。
さて、アルハイゼンは、至って普通のDomである。別に可もなければ不可もなく、適度なケアと適度な抑制剤で、別段困ったこともなくこのダイナミクスと付き合ってきた。パートナーと言ったものには性格や思想の関係もあって無縁だったが、人並みにプレイをして経験を積んできていた。この背中でほかほかとしている、まっさらさらの処女とは違うのだ。
だというのに、コマンドが受け入れられて、ケアに蕩ける夕陽色の瞳が自分を捕らえた瞬間に、脳髄をがつんと殴られるような衝撃を受けた。今までのプレイがなんだったのかと思うほど、多幸感で満たされてしまったのだ。こんなに可愛いSubが、自分の命令に従順でいることは、とんでもない満足をアルハイゼンにもたらした。
ざわめく酒場を後にして、夜風に撫でられている間に、歓喜に沸き立ったこの胸の内が静まることを祈った。

***

さて、どうしたものか、とカーヴェは頭を抱えていた。
まず、美味い酒を気持ちよく飲んでいたことは覚えている。
そして、ついうっかり、日頃の溜まりに溜まったデリケートな不満をぶちまけたことも覚えている。
これについて言い訳をすると、つい先日、またダメにしたばっかりだったのだ。建築現場で出会って、自分の建築に携われて光栄だと手を握られて、現場の最終日に告白された。告白されたからには誠意で返さないと、と思って、Subであることを告げると「自分はDomだから、それならパートナーになって欲しい」と今まで何度も聞いたような文句を告げられたので、よしきたとホテルに乗り込んだのだ。今度こそは、という淡い期待を抱いて。
もちろん結果は言わずもがな、昨夜の酒に現われている。
今回の問題は、簡潔に、そう。忘れられなかったことである。たまたま酒場に行くまでの道で捕まえた仕事帰りの書記官殿をこれ幸いと捕まえたところまではいいだろう。何がよくなかったかって、ついうっかり、DomだSubだとかセンシティブな話を、よりにもよって関係の深い同居人に酒を飲んだ勢いでした上に、まさかまさかで膝を折ってしまったことである。
記憶を飛ばせていればまだよかったものを、しっかりと覚えているからどんな顔をして私室から出たらいいのか分からない。悶々としていると、リビングの方から生活音が聞こえてきたので、きっとすっかり目覚めたアルハイゼンが朝の支度をしているのだろう。うだついていても仕方がないと重い腰を上げる。
おそるおそるリビングを覗くと、至って普段通りの様子でアルハイゼンが珈琲を淹れていた。この前旅人に贈った、二人で選んだ豆だろう。
「おはよう」
「おはよう。ずいぶんとよく眠れたようだな」
「あ、あぁ、そういえば」
酒に頼って意識を飛ばす頻度を咎められるくらいには睡眠が得意な質ではない。指摘されてみれば、なんだか頭はすっきりとしているし、体も軽い。
「さて、支払いを持った上で君を背負って君を背負ってベットにまで運んだ俺に言うことは?」
……ありがとう」
相変わらずの押しつけがましい言いざまに反骨心が芽生えかけるが、アルハイゼンに非はないどころか世話ばかりをかけている自覚はきちんとあるので飲み込んで素直に礼を言う。うん、と満足げな返事と共に差し出された淹れたての珈琲に冷えたミルクを注いだ、適温のカフェラテを受け取って、一口いただく。いつもどおりのルーティンにほっと息を吐いて、つい、普段通りにアルハイゼンに尋ねる。
「朝ご飯はなにか食べるかい?食べていくのなら何か作るが」
「いや、今日はそれよりも話をしよう」
びくり、と思わず動揺が表に出る。まぁ、でもアルハイゼンはこういう男なんだよな。
多少の気まずさはあれど、向き合ってこういう男だと思うと緊張より納得が先に出る。
「まあ、そうだよな。座ろうか」
熱々のブラックと、温めのカフェラテを挟んで、向かい合って座る。
「まずは……そうだな、昨日は悪かった」
「うん?君が謝るようなこと、あったかい?」
僕が醜態をさらした記憶しかない。この男は徹頭徹尾、冷静だったようにも思うが、違うのだろうか。
「当たり前だろう。同意のないプレイは犯罪だ。ましてや公衆の面前ともなればマナー違反も甚だしい。突然コマンドを発した俺は当然君に許しを請うべきだと思うが」
プレイ。そうか、あれがプレイか。うっかり跪いたという意識の方が強くて、プレイと結びつかなかった。Domがコマンドを出して、Subが従って、それを褒める。教科書にも書かれてるような、お手本通りの流れだった。
「あー、……でもそれって、そもそも僕が愚痴を言っていたからだろう?きみが悪いわけじゃないさ。僕は自分にコマンドが効かないと思っていたし、実際に効いていなければ『ほらな?』で済んだ話だったんだ」
殊勝な態度を見せられると何だか据わりが悪く、ついつい言葉を重ねてしまう。言うならばそう、不注意だ。彼は軽率だったし、僕は慢心していた。どちらが悪いと決められるものではないだろう。
「ふむ、それならいい。では本題だが」
とはいえサクッと切り替えられるとそれはそれで不快である。これだから合理性ばかり重んじる人間はいやなのだ。つい苦虫を噛みつぶしたような顔をしてしまっても仕方がないだろう。
「カーヴェ、君のパートナーになることを申し出たい」
「なんだって?正気か?」
ほんとうに。なにを言い出すんだいきなり。思いも寄らぬ提案に疑問符が飛ぶ。
「俺はバースの欲求解消のために専門機関を頼ったり、抑制剤を服用する必要が無くなる。君は興味のあったプレイを行える。同居人であるから、互いの予定さえあれば時間や場所を選ぶ必要が無いのもメリットだろう。極めて合理的な提案だ」
「君は合理性でパートナーを選ぶのか?どうやら気が合わないみたいだな。そもそもパートナーでなくてもプレイはできるだろう?」
「君は俺と行きずりの相手にでもなりたいと?俺は同居人という日常の接点が多い人間と爛れた関係を築くつもりはない。そもそも君のメリットはコマンドを通せるDomがここにいたというだけだ。プレイの必要が無いのならこの提案は忘れてくれて構わない」
合理性を前面に押し出す情のかけらもないアルハイゼンに思わず噛みついてしまったが、同居人との爛れた関係をよしとしないのには同意だ。言い方は最悪なのに納得せざるを得ない言い分なのが腹立つ。
そして、僕にコマンドを出せるDomというのが特別貴重なのは今までの人生の中で身に染みて明らかだ。昨日の事故が未知の世界への切符になるのなら悪くない。
……いや、そうだな。君と継続してプレイをするのならきちんとした関係は結ぶべきだろう。ただし、それは一度プレイしてみてからでどうだ?経験が無いから分からないが、相性というものもあるのだろう?相性が悪いのにずるずると無理に付き合うような関係は不健全だ」
「いいだろう。……カーヴェ、明日の予定は?」
ふむ、と頷いたアルハイゼンに尋ねられて、ここ最近のスケジュールを思い出す。打ち合わせはこの前終わったばかりで、しばらくはデザインや設計のような内勤がメインだ。
「明日は特に何も無いかな。いつも通り、家で設計図を引いていると思う」
「なら今晩でいいな。セーフワードとNGを決めておけ」
「今晩⁈ いや、構わないが……そうだな、なにか準備しておくものとかあるのか?」
あまりにも急だが、日数を置いても気まずい上にやりにくくなるだけだろうし、とイエスを返す。今まではそもそも出来るかどうかすらも分からないのがスタート地点だったが、今回は確実にプレイが出来る。そう思うと万全の準備をしなければならないような気持ちがむくむくとわき上がってきて、つい、アルハイゼンに尋ねてしまった。
「特にないだろう。……ああ、いや、使いたい道具があるなら準備しておいてくれ」
「道具?」
「鞭や縄、ろうそくや拘束具か?Subの嗜好によるが、そういったものを好むSubは少なくない」
確かに、プレイとはそういったものというイメージがある。自分にそれらが使われるところを想像してみようとしたが、あまり上手く想像できないのでパスでいいだろう。アルハイゼンも所持しているわけではないのなら、彼が特にそういった道具を使ったプレイを好むとか、そういうことも無さそうだ。
「初心者にはハードルが高そうだ。やめておくよ」
「そうだな。うん、極力丁寧にする。身構えず、力を抜いてくるといい」
「そ、そうか……
落ち着いた優しい声でそんなことを言うものだから、なんだかくらくらする。今、この家は朝の柔らかく温かい光で満たされているというのに、日が沈んで夜になってしまうときっと何もかもが変わって、僕の知らないこの家の新しい顔を見るのだろう。あのアルハイゼンがていねいにしてくれるそうだ。なんだかいけない約束をしたような心地になって、体温が上がった。

「カーヴェ、」
かちゃ、とドアノブをひねって、滅多に入らないアルハイゼンの私室に踏みいると、ベッドに腰掛けたアルハイゼンがとんとん、と隣を叩いた。
恐る恐る近づいて、ゆっくりと隣に腰掛ける。
二人とも晩ご飯と風呂を済ませて、ゆったりとした寝間着だ。風呂上がり特有の、温まった体からふんわりと清潔な香りがするのが、何だかとても心臓に悪い。
ぎしり、とベッドが鳴る。片足をベッドに乗り上げて、半身でこちらを向く姿勢になったアルハイゼンに、恐る恐る目線を合わせた。
「セーフワードは?」
アルハイゼンが尋ねる。これは昼間に決めてきた。どうしたものかと散々悩んだが、やはり、オーソドックスなものが一番だろう。
「『嫌い』だ。いざというときに言いやすいしわかりやすい」
「うん」
素直な了承をもらってちょっとだけ張っていた力が抜けた。あとはNGを決めるよう言われていたのだったか。考えてはみたが、結局、やってみてダメだったらダメなのだろう、という体当たり的な結論しか出なかった。
「NGは特には無いが……お試しということを加味して、性行為はなしにしよう」
「ああ、それがいいだろう」
「じゃあ……はじめようか」
火蓋は切って落とされた。

***

「Come」
まずは軽めのコマンドがいいだろうと軽く膝を叩いて、ここに来るように告げる。
こくり、と頷いて恐る恐るといった様子で、ゆっくりと膝の上に乗り上げてきた。無理はさせないように、何が好きなのか把握できるように、よくよく観察する。
「うん、よくできたな。上手だ」
「ん……
まだ少し緊張を感じるが、コマンドに対しての拒否感はないようだ。少しだけ目線の高くなったカーヴェの頭に手を差し込んで、ふわふわとした髪をとかす。気持ちよさそうにしているので、これは嫌いではないのだろう。
「look」
伏せがちだった宝石みたいな瞳がしっかりと合う。孕んだ熱に浮かされた様に引っ張られて、じんわりと支配欲が満たされていくのを感じる。
「カーヴェ、君の今の状態を教えてくれるか?」
「あ、……うん、なんだろう、初めての感覚だ。温かくて、ぼんやりする、のかな。命令されるとじんとして、やらなきゃとやりたいが混ざるのがすごい、どきどきする……
いつもより少しだけ舌足らずで、自分の内側を素直に見つめているから、確かにコマンドは効いているのだろう。昨日のアレが酒や体調の組み合わせによって可能だった偶然の産物ではないと分かって、少なからず安心した。でもまだあの時に比べるとはっきりとしているので、酒の力も手伝っての産物だったのだろう。
「よく言えました。はじめてなのに上手に分析できてえらいな。じゃあ、どうされたいのかも、言えるだろう?」
「どう……
「そう、君が、俺に、どうされたいのか教えてくれ」
ちゃんと出来たら優しく褒めて、SubがSub性により深く潜っていけるよう、自然に命令を繋げていく。
「僕がアルハイゼンに……?アルハイゼンに、いっぱい命令されて、いっぱい褒められたい……?」
「Good boy. 満点だ、カーヴェ。とっても上手におねだりできたな」
たどたどしいが、普段のカーヴェからは絶対に出ない甘えた言葉だ。少し大げさなくらいに褒めてあげて、何度でも肯定してやって、それが「善いこと」なんだと覚え込ませてやりたい。
「うん」
「いろいろなコマンドを試そうか。君の気に入るものを見つけよう」
「わかった。いっぱい命令してくれ」
段々とSubの性質が表に出てDomの言葉ひとつひとつを大事に受け取るようになってきている。ふわりと清廉な花のような、甘くさわやかな香りが漂ってきて、脳髄をじんと痺れさせてくる。本能で分かる。これがきっとカーヴェのフェロモンなのだろう。支配して、管理下に置いて、大事に大事に育てたくなる香りだ。
「うん……そうだな、まずそこからいこう。カーヴェ、Kneel」
膝の上から下りて、床に座るように指し示す。ずっと肌を触れ合わせて、至近距離で甘やかしていたから、落差で十分に伝わるだろう。えっ、と言う顔を一瞬したものの、従順にベッドから下りて、すぐそこにぺたん、と座りこんだ。
「カーヴェ、プレイの根本はなんだと思う?」
「え、なんだい、急に……コマンドを出すことと、それをこなすことじゃないのか?」
「そうだ。Domが命令をして、Subがそれをこなす。つまるところ、DomとSubというのは絶対的な主従関係なんだ。わかるな?」
うん?と言う顔をしながらも頷いているので大丈夫だろう。
「俺が主人で、君が従属者だ。役割を大事にした方が気持ちよくなれる。主人に対してのお願いの仕方、分かるな?」
「い、いっぱい、めいれいしてください……?」
なるほど、言い方が悪かったのか、と納得した様子で、たどたどしく俺に対して慣れない敬語で言い直してみせたカーヴェをまずは一回、ちゃんと褒める。
「正解だ。よくできました。コマンドに返事するときは敬語を使うこと。いいな?」
「はい」
「うん。じゃあ、最初の、出来なかった分はお仕置きにしよう」
足と足の間でぺたんと座り込んでいるカーヴェの胸元をつま先で軽く蹴り、体勢を崩させる。うわっと言いながら座り込んだままバランスを崩して上体が倒れて、仰向けで肘をついたカーヴェのそのまま目の前で足を組んだ。
「Kissだ。カーヴェ、足の甲へのキスの意味はわかるな?」
「服従、だっけ」
「そうだ。カーヴェ、俺が君を服従させるのではなくて、君が俺に服従したいからするんだ。これを君のはじめてのお仕置きにしよう」
ゆるゆると実感が追いついたのか、じわじわと頬を染めるカーヴェは本当に見ていて飽きない。なんなら見ているだけで満足感さえ覚える。プライドが高く、自我を強く持った男だ。その割に誰かのためという言い訳があればなんだってしてみせるのだから、その忌々しい「他人のため」という言い訳を取っ払ってやりたかった。正直に自分の欲のためだけに我が儘をするカーヴェは、きっと誰よりも気高く、孤高だろう。
「限界だと思うならセーフワードを使え。カーヴェ、セーフワードは覚えているな?」
無理をさせたいわけではないので声をかけておく。うん、と頷いたが、口を開く気配がないので、純粋に葛藤しているだけなのだろう。それならば心が決まるまで待てばいい。
ナマケモノと同じくらいのゆったりとした速度で、カーヴェの胸元に向けていた足を取られる。体勢を整えるためにだろう、ずる、と俺の足の下から這い出して、片膝を着く姿勢で跪いた。意志を決めたように一つ大きく息を吸って、足の甲にキスを落とされる。
落ちた。
確信がある。これで、この男はこの一回きりじゃなく、今後もこうやって何度でも、俺に跪くだろう。
「Good boy. よくできたな」
興奮を抑えきれずに、声がうわずった。許しが出て、のろのろと顔を上げたカーヴェが俺と目が合うなり大きく目を見開いたので、きっと他人には見せられない表情をしているのだろう。
「おいで」
カーヴェに取られていた足を引いて、手を差し出す。はぁ、と熱い息を漏らしてよろよろと手を伸ばしてきたのでぐっと掴んで立ち上がらせる。俺の肩を支えにしてやっとなんとか立てるようで、そえでもなおふらつくカーヴェを引き寄せて、そのままベッドに転がした。
「Roll. できるか?」
ん、と頷いて、もぞもぞと体勢を整えるカーヴェをじいと見守る。そのままころん、と仰向けになったのを確認して、よく見えるよう、カーヴェの体をまたいで太ももを膝で挟み込むように膝立ちの姿勢をとった。
すい、と腕を伸ばして、柔らかい布に触れるか触れないか程度の力でカーヴェのへそから正中線を上る。
「そうだな、ここまで見せられるか?」
つつ、と辿って丁度みぞおちの辺りで手を止めた。
うろ、と視線が泳いだが、少しおいてこくり、と小さく頷いたので彼の腹から手をどかす。
「うん、いい子だ。頑張ってみせて」
はぁ、はぁ、と布団の上で大きく呼吸をするカーヴェをじ、と見守る。
できると言ってしまったからにはやらなければならない。
ゆるゆるとしたパジャマの裾を握りしめて、ゆっくり、ゆっくりと持ち上げていく。
拳一つ分くらいたくし上げたところで、肌が空気の冷たさに気付いてふるり、と小さく震えた。薄い腹が呼吸に引かれて上下する様だとか、すっかり涙目で羞恥と闘いながら、ふぅ、ふぅと息を漏らしながら頑張ってお腹を見せようとしてくれる様だとか。全部、全部、俺のためだけに捧げられたカーヴェを見逃さないように、一等上から見下ろす。
「もうちょっとだ。あとちょっとだけ、頑張れるな?」
最後の一押しを語りかけて手伝って、ようやく、腹からみぞおちまでがさらけ出された。
「Good. 上手にできたな」
ぬくい服の中にいたのに、突然外気に晒されて温度差でひくつく生っ白い腹に思わず眼を細める。手のひらを添えると、鳩尾からへその下までがすっぽりと納まってしまって、こんなのどうにでもできてしまうな、という衝動を奥歯で噛み殺した。
そのまましばらく触れていると、じんわりと体温が混ざっていって、強ばった筋肉がだんだんと弛緩していく。力が抜けて気持ちよさそうにしているのが可愛らしい。ダイレクトに伝わるカーヴェの様子に満足して、カーヴェが俺に見せるためにゆるく握っていた服を優しく引いて下ろしてやる。
「カーヴェ、どうする?もう眠ってしまってもいいし、君が望むなら最後に痛いのを試してもいい」
いろいろなことを試すといった手前、一応まだ試していないオーソドックスなプレイを提案しておく。ここまでしっかりと気持ちよくなれているのなら、無理に今回に詰め込む必要もないが、希望があるのならしてみてもいいだろう。
「いたいの……?」
プレイの高揚感からか、ぼんやりとしたままのカーヴェがゆるく首を傾げる。
「ああ。もししたいのなら、今日はスパンキング辺りを試そう。気に入るのなら次回から道具を準備してもいいし、ダメだったらNGとして覚えておく」
「うん……そうだな、気になるけど、叩かれるのはちょっと恐い、から」
よいしょ、腕を伸ばして首裏に回され、ぐい、と引き寄せられる。吐息で感じられるほど近くにカーヴェの美しくて艶めかしい顔が近づいてきた。柔らかく眼を細めるさまがあまりにも魅力的で、思わず息を呑む。
「きみがやさしく教えてくれ」
至近距離で響いたあまくてまろい声が聴覚を犯してくる。この美しいSubに選ばれて、委ねられているということに本能が歓喜している。
百人がいたら九十九人が理性を飛ばすようなことを平気でしでかすから、自分が唯一の例外であった幸福をこの男は噛みしめるべきだ。俺の理性の番人だって絶対じゃないということをよく言って聞かせないと、俺はいつまで経ってもこの引きちぎれそうな手綱を強く引いていなければならなくなるのだろう。
……いいだろう」
この男がそのつもりなら、手加減は無用だ。
鼻と鼻がくっつきそうな距離の瞳を少しのglareを込めて見つめる。少しの怯えと、それを上回る期待が滲んで思わず口角が上がった。ひどく苛められたがっている、生粋のSubだ。
ほとんどこちらにぶら下がっているような姿勢のカーヴェの背中に腕を回して、より密着するように引き寄せた。右手を後頭部に回して、逃げられないように押さえ込む。耳元に唇を寄せて、吹き込むようにコマンドを放った。

***

「十回。君が最後まで数え切れたら終わりだ。四つん這いになって」
柔らかい猫っ毛が頬を擽って、耳に柔らかくて温かい、湿度を感じるそれが押し当てられた。かすかな吐息さえこしょばゆく感じられるような距離で、僕のことをいっぱい褒めてくれた甘い声が、背筋を震わせるような支配者のささやきで、新しい命令を下した。
言い終わるやいなや、力強いハグから一転、ぱっ、とベッドに放り出された。ぼすん、と柔らかいスプリングに受け止められて、反動で軽くバウンドする。
神経に甘く痺れが走る彼の声の余韻を受け入れて、小さく身震いする。
マウントを取っていたアルハイゼンが横にずれてベッドサイドに腰掛けた。
ほう、と息を吐いて、のろのろと体を動かす。自分のものじゃないみたいに重い四肢を何とか動かして、成人男性の体重分軋むベッドに膝を立てる。実際にやってみると、思ったよりも恥ずかしくて、少しでもかくれたくて、俯いて目をつむった。
「Good. 上手にできたな」
うん、と小さく頷く。やっぱり褒められるのは好きだ。じんわりと胸の内に広がる達成感が心地いいし、この優秀な後輩に認められるのは、何だか誇らしい。
ベッドの軋む音でアルハイゼンが移動したのが分かる。ひた、と背中に当てられた手が、ゆっくりと体をなぞっていく。
肩から背中へ、ウエストをなぞって腰からおしりへ。アルハイゼンの大きな手が、僕の体の形を確かめる。
「痛くて我慢できなかったらセーフワード。言えるな?」
「言え、ます」
「うん。えらいな」
次の瞬間、バチン、と大きな音がして、一瞬遅れて下半身から響くような衝撃が体中に広がった。
「うあっ」
叩かれた衝撃で体が前に流れて、体勢が崩れそうになる。折れかけた肘に力を入れてなんとか立て直した。よかった、アルハイゼンの命令を守れた。ほっとしていると、すぐそこから意地悪な声が飛んでくる。
「ほら、数えないと分からないぞ」
「あ、い、いっかいめ」
そうだった、ぼくが数えないといけないんだ。
「うん。その調子だ」
褒められた。うれしい、うれしいとぼくのSubが歓喜の声をあげる。
バチン
「ん、にかいめ」
バチン
「ンッ、ふ、さんかいめ」
バチン
「ひあっ、あ、よ、よんかいめ」
バチン
「あんッ……っふ、あ、ごかいめ……?」
最初は痛みよりも衝撃の方が強かったが、じんと広がる振動がだんだんと気持ちよくなってきて、そうしたらじわじわと痛みを感じるようになってきた。同じところを何度も叩かれていることで、体が防御反応を取っているのだろうか。叩かれるたびに増す痛みと、体に響く振動がもたらす気持ちよさとで、なにが何だか分からなくなっていく。
はっはっ、と呼吸が荒くなって、上半身を支える腕がぷるぷると震えている。おしりはひりひりと熱いし、痛いし、なのにどこかで気持ちいい。
ゆっくりと振りかぶられた腕が、思い切り振り抜かれた。
「あうっ」
今までで一番の衝撃が来た。震えていた腕は耐えきれずにくずおれてしまって、ぼすん、と上半身がベッドに沈む。あ、上手くできなかった。折角もらった言いつけを守れなくて、いい子でいられなかった悲しみがスッと体の芯を冷やす。腹の奥底に重くよどんだものがわいてきて、喉の奥が熱くなった。
「大丈夫か?」
「ひっ、あ、ごめんなさい、ぼく、上手くできなくて」
「いや、いい。よく頑張ったな。無理せずに肘を立てて、前腕全体で体を支えるといい」
ぎゅ、と体を抱くようにして支えてもらって、力の抜けた腕をなんとか立てる。恐慌状態に陥ったのを見てか、アルハイゼンがいままでよりしっかりと体を密着させてくれて、背中全体が僕より温かい体温で包まれる。僕がちゃんとCrawlできそうなのを確認して、そっと離してくれた。柔らかいマットレスに対して手のひらだけで上半身を支えるさっきの姿勢よりはよっぽど安定して楽になって、これなら失敗しなさそうだ。ほっと息を吐いたら、よくできましたといわんばかりに優しく頭を撫でられた。易いもので、さっきまで泣きそうなくらい追い詰められていたのに、一瞬で安心が胸の内を占めた。
「さて、カーヴェ。何回目だったかな?」
す、と威圧的に見下されて、ぺちん、と音を鳴らすことを目的にしたように小気味よく叩かれた。思わず唾を飲む。なんかいめ。さいしょは、最後まで数えられたら終わりって言ってた。つまりだ。
アルハイゼンの愉悦に満ちた声に期待した。

「い、いっかいめ……♡」

だって、なんか、よくなってきたところだったのだ。

計十六回。しっかりと叩かれて、布越しなのにじんわりと痛むおしりをそっと撫でる。腫れてないよな……?かわいいかわいい僕のおしり。かわいそうに、あんなにめいっぱい叩かれて……
でも、すごい、よかった。
大人になってからこんな風に人に叩かれるのなんて初めてだったけれど、何だかクセになりそうな気持ちよさだった。終わったらいっぱいいっぱい褒めてもらえるのもいい。
ほう、とご機嫌で寝っ転がっていると、汗拭き用に着替えを持ってくると部屋を出ていたアルハイゼンが戻ってきた。
「さあ、着替えるぞ」
うん?と頭を起こして確認すると、アルハイゼンはすっかり違う寝間着に着替えていた。あれ?と首を傾げる。
……もしかして、君、」
「バンザイだ、カーヴェ」
「も、プレイ終わったんじゃなかったのかよぉ」
のそり、と体を起こしてゆるゆると腕を上げる。素直で正直な体とSub性がちょっとだけ憎い。いとも容易く期待してどきどきと胸を高鳴らせている。
目の前に立つアルハイゼンが特段もったいぶることもなく、すぽーんと雑に脱がせて、脱がせたその服で軽く体を拭ってくれる。とはいえ代謝のいいアルハイゼンと違って、僕はそこまで汗をかかない。だからそのままでもいいか、とプレイの余韻の残る体を休ませていたのに。拭おうとしてくれる手は優しいが、わりとざっくり適当にしてくるところを見るに、一応気を遣ってくれただけで、僕が着替えが必要なほどではないことは理解していたのだろう。
そのまま新しく準備してくれたパジャマを着せられて、今度は起立を命じられた。
「俺の肩につかまっていいから、転ばないように気をつけろ」
否やを言う気もないのでおとなしく従う。言われたとおりにアルハイゼンの肩に手を置いたが、何の情緒もなくざっくりズボンを下ろされたので、もうはいはい、どうにでもなーれ、という気持ちになった。しっかりとアルハイゼンを杖にして足を外す。
そのまま新しいパジャマを履かせてくれるのかと思ったら、ふと顔を上げてこちらを見てきた。
「なんだ?って、うひゃぅ」
さらりと内もものきわどいところを撫でられて、下着に指をかけられる。
「脱がすぞ」
「は、おい、ちょっと待て、そこまでしなくても」
「濡れていては気持ち悪いだろう?」
「濡れ……⁈」
バッ、と下を向くと、ばっちりとシミを作った下着が視界に入って、思わず目を覆う。
「あぁ……
「それだけちゃんとプレイが気持ちよかったということだろう。Dom冥利に尽きる」
なんだかアルハイゼンがウキウキして見えるので、まぁいいか、と現実から目を背けて全て任せることにする。この後輩がこんなに楽しそうにしているのを見せるのは教令院以来だ。いや、やめよう。あの輝かしく青かった日々を今この状況と重ねたくない。
いそいそと下着を下ろされて、目配せされたのでおとなしく足を抜く。上はしっかり着たままなのに下はすっぽんぽんという、なんともアンバランスな状態になる。
「触るぞ」
「触る⁈」
どうやら問いかけではなく通告だったらしく、僕の驚きをよそにベッドサイドからティッシュを数枚引き抜いて、じっとりと濡れて緩く芯のある性器を拭われる。会陰から蟻の門渡りまでもしっかり綺麗に拭き取られて、流石にそこまで触られれば多少は勃つ。しかしアルハイゼンはそんな些末なことには興味が無いようで、清拭が十分だと確認したら当然のように準備されていた新しい下着を手に取った。はぁ、もう成すがままだ、と全てを任せて、うっすらと遠くを見つめた。
うっかり興奮してまた濡らしては、またこの羞恥プレイを繰り返されるかもしれない。割と切実だ。
下着に押さえつけられて少々苦しいながらも、しっかりとズボンまでぴっちり着替えさせられて、ベッドに促される。
「すぐ隣が僕の部屋なんだから、別々で寝た方がゆっくり寝れるんじゃないか?」
「君が一人寝じゃないと寝られないというのなら受け入れるが、プレイ後の精神安定のために共寝は推奨されている。よって今日の君の寝床はここだ」
僅かな抵抗はあっさりとなかったことにされたので、指し示されたとおりに、アルハイゼンのベッドに潜り込む。ごろり、とアルハイゼンの方を向いて待つと、褒め待ちとでも思われたのか、よしよし、と撫でられる。違うが、悪くはないのでさせておく。
しばらく撫でて満足したのか、ようやっと布団の中に潜り込んできた。当然にこちらを向いているので、しばらくそのまま、お互いに見つめ合う。
ベッドの中で向かい合うようにしているとよくこうやって夜遅くまで語り合った優しくて温かくて、だから鋭利な過去が記憶の奥から顔を出す。
あの頃はその日に得た知識や見解を語って指摘してすり合わせて、二人の知恵を一つの結論にすることが全てで、昼夜なんて関係なく、いつでも、どこでも僕たちはずっと話をしていた。お互いに同じ喪失を抱えていて、一人になってしまえば家とも呼べない寒々しい住居が待ち受けているのを分かっていたから、そんな穴を埋め合うのにも僕たちは二人でちょうどよかったのだ。
そうやって僕たちは自分の穴を埋めるために他人を使おうとしたから、なによりも大切なものを同時に失った。今になってやっと冷静に見つめられるが、それでもいつまでも鋭く痛い過去だ。胸の一番柔らかいところを貫いた記憶は鮮明に、生々しいままに血を流している。
ぎゅっと目をつむって、過去の僕たちの幻影を振り払った。
僕たちは過去にも学べず、愚かにもまた、あの頃を繰り返そうとしているのだろうか。
そんな疑念を笑い飛ばす事すらできないのに、彼の手を取ってもいいのだろうか。
「カーヴェ」
目を開くと、温かいアルハイゼンの瞳が、僕を見つめていた。
柔らかく手に触れられて、するりと指先を絡められる。
「君はよく頑張っている。とてもすごいことだ」
「アルハイゼン」
おもわず、アルハイゼンの手をぎゅっと握る。すぐさま握り返されて、しっかりと手が繋がれた。力がこもっていて、ちょっと痛いくらいなのに、どうしてかひどく安心する。
「いい子だ、カーヴェ。よく眠ろう」
アルハイゼンの声に導かれるままに、目を閉じた。